卑弥呼の墓か?箸墓古墳に60辰遼

(図は、箸墓古墳を報じる朝日新聞より)
今日朝日新聞など各紙が、桜井市教育委員会の行った箸墓古墳の調査結果を報じています。
箸墓古墳は、奈良県桜井市箸中にある前方後円墳で、出土品から3世紀後半に作られたものと推定。古墳時代の幕開けにいきなり現れる墳丘全長280メートルの巨大古墳なのですが、その規模の大きさから卑弥呼の墓ではという説も強く唱えられています。桜井市教育委員会の調査で、墳丘を囲む外堀が、今まで考えられていたよりはるかに大きく、幅60メートルから70メートルあったことが確認されたそうです。ほっほー、これが卑弥呼の墓だと確認されると、古代史最大の謎、邪馬台国の場所は奈良だという畿内説に軍配が上がることになります。
さて、箸墓古墳の由来ですが、日本書紀の崇神天皇の項に記述があります。それによると、
倭迹迹日百襲姫命(やまと とと び ももそ ひめ の みこと=崇神天皇の叔母)は、大物主神の妻となったが、いつも夜しか来ないので顔を見ることができない。それで、大物主神に姿を見せるように頼んだところ、大物主神は、朝櫛函(くしばこ)に入っていることにするので決して驚かないようにと倭迹迹日百襲姫命に言う。ところが、朝、倭迹迹日百襲姫命が櫛函を見てみると、小さな蛇が入っていたので驚いて叫んでしまった。すると、大物主神は恥じて「今度はお前に恥ずかしい目をさせよう。」と三輪山に登って行ってしまった。それで、倭迹迹日百襲姫命は仰ぎ見て悔い、どすんと座り込んで陰部を箸で突いて死んでしまった。それで、その墓を箸墓という。その墓は、昼は人が作り、夜は神が作った。(参考:講談社学術文庫 日本書紀(上)宇治谷孟著)
とあります。この倭迹迹日百襲姫命、神懸りして武埴安彦(崇神天皇の叔父)の謀反を防いだことも、同じ崇神紀に記されています。
神と結婚したり、神懸りしたり、卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命ではないかといわれる所以です。卑弥呼が死んだのは、魏志倭人伝から考えると紀元247年くらい。箸墓古墳は3世紀後半ですから20〜30年くらいの誤差が出てきますが、これをどう見るか、まだ定説はありません。今後調査が進んで、さらに詳しいことがわかればいいと思います。
吉野ヶ里遺跡、「弥生ミュージアム」のHP内のフォトギャラリーに桜井市教育委員会が提供した航空写真がありますので、リンクを張っておきます。

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